新年あけちまいましたね。
今週の目標
ストーリーイベントの作成・実装
やったこと
キャラクターのダイアログシステムを作りました。
こんな感じ:
(画面は開発中のものです。。。)
今後の計画
- ストーリーイベントの作成・実装(2週間)
- ストーリーを練るのに1週間
- 実装に1週間
- 全5ステージぐらい作る(2週間)
- UIを見やすく整理(1週間)
- エフェクトを充実させる(1週間)
- カードの種類を30種類ぐらいまで増やす(1週間)
- リリース!(目標は2024年3月)
【ゲーム制作】カードに動きを付けました。
今週の目標
UIを見やすく整理
やったこと
UIを整理しようとして、カードの動きがないことが気になって、動きをつける作業してたら1週間経ってしまった。
こんな感じ:
今後の計画
当初の計画がさっそく倒れたので、ちょっと調整
- ストーリーイベントの作成・実装(2週間)
- ストーリーを練るのに1週間
- 実装に1週間
- 全5ステージぐらい作る(2週間)
- UIを見やすく整理(1週間)
- エフェクトを充実させる(1週間)
- カードの種類を30種類ぐらいまで増やす(1週間)
- リリース!
ゲーム制作してます。
ゲーム制作の記事を書くのは初めて。
そもそもこれが書きたくて始めたのに、なんか今まで陰鬱な記事ばかり投稿していた気がする笑。
これからは心機一転!ゲーム制作記事もジャンジャン投稿するぜ。。。
制作中の画面はこちら:
開発中って感じがプンプンしますね。。。
ゲーム概要
ジャンル
デッキ構築型ゲーム:
ゲーム開始時に初期デッキが与えられ、ゲームプレイ中に自分のデッキを順次強化していきながらクリアを目指すゲームジャンル
(例:ドミニオン、サンダーストーンなど)
ゲーム目的
- 村が魔物に襲われそうになっている
- 魔物は1ターンに1歩ずつ村に接近
- 魔物が村に到達するまでに、自分のデッキを上手く強化して、魔物を迎え撃つ
- 村を守り抜いたらクリア
特徴
登場するカードは主に2種類:
- 食料カード
- 英雄カード
食料カード(↓こんなやつ)は、ゲームプレイを支える重要な意味をもつ。
食料の効果は次の通り:
- 通貨として使用(この世界では、食料が通貨である!)
- 英雄カードを購入する際に使用(英雄を餌で釣る!)
- 英雄カードをプレイする際に消費(腹が減っては戦はできぬ!)
つまり、食料がないと何も始まらないということである。
食料が貯まると・・・
強そうな英雄が雇えるように!
とまあこんな感じのゲームを作っております。
今後の計画
- UIを見やすく整理(1週間)
- ストーリーイベントの作成・実装(1週間)
- 全5ステージぐらい作る(2週間)
- エフェクトを充実させる(1週間)
- カードの種類を30種類ぐらいまで増やす(1週間)
- リリース!
翌年3月までに完成を目指す!
と豪語しておいて、多分あと半年くらいかかるのがオチ・・・。
ちなみに使用しているゲームエンジンはGameMakerStudio2です。
やって後悔とやらずに後悔について
「あのとき、チャレンジすべきだった」という後悔と、
「チャレンジしたけどダメだった」という後悔。
両者を天秤にかけて、「後悔の小さいほうを選べ」、とよく言われる。
そしてたいていの場合、後者のほうが後悔が小さいとされて、「とにかくチャレンジすべし」「とりあえず行動」を謳ったネット記事なり俗説が散見される。
私自身も、そういったものに啓発されて、ここ数年はろくに考えもせずに行動する頻度を増やしてみている。
ところがどっこい、大して報われる兆候はみられない。
それどころか、今までの自分では考えられないような失敗を繰り返すようになってきた。
- 片思い中の人に対して、まだ知り合って日の浅いうちから強引にデートを申し込んで、ドタキャンされるOR失敗に終わる
- 片思い中の人の前で挙動不審になり、タイミングを誤って彼氏の有無を問う
- ちょっと優しくされるとすぐに好意と勘違いする
- 会社の同期と仲良くなろうと躍起になって、同期会を開き、空回りに終わる
いずれも、数年前の私では絶対に起こさなかったはずのものばかり。
これはどうしたものか。
「とりあえず行動」を妄信した結果、失敗に失敗を重ね、負のスパイラルに陥ってしまっている感が否めない。
もはや会社では居心地が悪く、自分のメンタルも不安定な日々が続いている。
どこに問題がある。
- 「とりあえず行動」が問題
- 「行動後の自責」が問題
- 「とりあえず行動」がまだまだ足りていない
「とりあえず行動」が問題
何も考えないのが問題である場合、行動の頻度を下げるべし、というのが解決法になるが、これはつまり、数年前の私に戻ることを意味する。
これは果たして良いことなのか・・・?
そもそも、数年前の私は自分が嫌で、自分を変えるために「とりあえず行動」を取り入れようとしたのではなかったか。
「行動後の自責」が問題
行動して、失敗したあと、自責に陥る。これが良くないのかもしれない。
まあ自責が精神衛生的に悪いのは通説どおりだし、納得がいく。
これはまあほぼ間違いないと言って良いだろう。
これを避けるには、やはり自責している自分に気づいて、反省をやり直し、スパイラルから抜け出すこと。それしかない。
「とりあえず行動」がまだまだ足りていない
自分では行動できているつもりになっていたが、まだまだ全然足りていないと考えることもできる。
つまり、いま私が気にしている、「このところ失敗が増えてきた」という状況は、まだまだぬるいレベルで、もっともっと失敗を積むべし、という見解である。
ただ、これができるかどうかは、ちょっと先天的な才能が必要な気がする。
つまり、どれほど人間関係でトラブルを起こして他人から嫌われようとも、意にも介さないサイコパス的性質を持っていないとできないのではなかろうか。
そして残念ながら私にはそんな才能はどうもなさそうである。
となるとやはり私が取るべきは、
- 行動の頻度はひとまずこのままをキープしつつ、
- 自責ループに陥らないようにメンタルケアをする。
で様子を見るぐらいか。
あと、片思いの状況下で、焦って挙動不審になって自滅しがちなので、ちょっとそこんとこ、マジで気を付けた方がいい。
反省活かせてない感じもある。
ホント、恋は頭おかしくなる。
頭おかしい自分を笑って受け入れて、話はそれからだよね。
自分式立ち直り法
自分のメンタルの脆弱さには呆れるばかりだが、
しょっちゅう落ち込んでは、出勤して帰るだけの活力をどうにか取り戻す、を繰り返すうちに、有効な立ち直り方が少しずつわかってきた。
自分式立ち直り法
- 有酸素運動
- らくがき帳に書きなぐる
- 失敗談を友人に話す
有酸素運動
運動すると心筋から心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)が分泌され、それは血流に乗って脳まで送られる。
脳に入ったANPは海馬の受容体にくっついて、HPA軸の活動を調整する。
動物及び人間の実験によってANPには鎮静効果があることがわかっていて、研究者は、運動が不安に作用するのはおもにANPのはたらきによるものだと考えている。
ジョン J. レイティ、(2020)、「脳を鍛えるには運動しかない!」
現代医学では、「心拍数を上げることが不安解消に有効である」という説が有力らしい。
そこで有酸素運動を実際にやってみたところ、わりとすぐに効果が感じられた。運動後の謎の高揚感によって、不安や後悔が一時的にどこかへ消えてしまったのである。
ランニング(10分程度)、バービー(30回×2セット)が自分的にはちょうど良い。
ランニングは、出勤日の昼休みに習慣化している。ランニング後に川辺に大の字になるのが快感である。そしてそのあとに食べるお弁当がなんとも美味い。
バービーは、家の中でできるので手軽。親に「うるさい」と言われてでもやる。
らくがき帳に書きなぐる
自分の中のネガティブな思いを、オブラートに包まずに紙に書きなぐる。
「やっちまった」とか、「嫌われた」とか、「なんであんなこと言った」とか。
そうすることで、いわゆるメモ効果(メモに書くことで記憶せずに済むという安心感のようなもの)が得られるものと、私は解釈している。
これが結構不安に効くのは、数年前から実体験として知っていたが、紙とペンがあってなおかつ静かな場所でしかできないという難点がある。
最近はようやく職場でもこっそりできるようになったが、やはり人目を意識すると、自分の素直な思いを紙に書けなくなったりする。こういうときの公的自意識はほんと邪魔である。
失敗談を友人に話す
これは定番っちゃ定番だが、それでも私がこれができるようになったのはここ数年のことである。
多分、完璧主義的思考が邪魔をして、欠点を晒すことに抵抗があったのだと思う。
いったんさらけ出してしまうと、楽になれるのに、数年前の私にはできなかった。
まあ、信頼できる親友がいることが前提だが、私には幸い、長い付き合いの心の友がいる。本当にありがたいことである。
営業マンを目の当たりにして
昨金曜日、私の会社が出展している展示会に、私も参加した。
ソフトウェアの技術者として、説明要員に駆り出された。
そこで目の当たりにしたのは、営業マンたちのトークスキル。
彼らは、頭の回転が速すぎる。
それでいて、相手の性格タイプを見極め、会話を相手のペースに合わせる能力も兼ね備えている。
営業マンがモテるのも頷ける。いつでもどこでも人気者だ。
私は、陰キャで根暗である。
営業マンのような、住む世界の違う人種に対して、多少恐怖心があるのは否めない。
だが、だからといって、いつまでもいじけて精神的自慰行為に浸るつもりはない。
改善出来るところは、改善していきたい。
営業マンから学べることが何かあるはずだ。
- 目的意識(=名刺交換)を強く持つ
- 困ったらためらわず先輩の助言を仰ぐ
- ちょっとミスったくらいでくよくよしない
- ハキハキ喋る
目的意識(=名刺交換)を強く持つ
営業マンは、最後に名刺交換を忘れない。
目的がブレない。
困ったらためらわず先輩の助言を仰ぐ
若手営業マンは、お客さんからの質問に答えられないことも多い。
が、そんなときは一切の躊躇なく先輩にヘルプを出す。
ちょっとミスったぐらいでくよくよしない
営業マンでも、ミスはある。
相手の会話のペースを見極められずに、話し過ぎてしまったり、
はたまた相手の質問の意図をつかめなかったりもある。
だが、いちいち引きずっていない。
すぐに切り替えて、次のお客さん対応を始める。
立ち直りの早さは、本当に見習いたい。
吉田さんに避けられたくらいで、くよくよするな!
ちょっと相性が悪かっただけ!
もっと気の合う人が他にいくらでもいる!
ハキハキ喋る
当然のことではあるが、言葉が相手に届かなければ会話は成立しない。
活舌の良さ、声の大きさ、どちらも極めて重要である。
これらを身に着けるには、初対面の人と会って話す練習をひたすら繰り返すほかない。
考察
営業マンが人間的に優秀に見えるのは、一貫してぶれない印象があるからだ。
そして終始、外交的で、ポジティブに見える。
こういった人々は、第一印象が極めて良い。
私自身、今まで孤高のぼっちキャラを演じてきた節があるが、それが周囲から敬遠される要因となっていたと反省している。
これからは、陽キャを演じる練習を、時々やってみようと思う。
根っからの陽キャにはなれないだろうが、演じるだけでも敬遠されることが減るかもしれない。
知らんけど。
自意識について
恋をすると、自意識過剰になる。
これはもうどうしようもない。
相手からどう思われてるか、無性に気になる。
この異常な精神状態も含めて、恋なのであろう。
恋は、病気である。精神科を受診したほうがいい。
にもかかわらず、「恋はパワー」とかほざいて突っ走ってアプローチして、
たいてい失敗に終わる。
インフルエンザ発症してるくせにわざわざ登校するぐらい愚かなことである。
ではどうすればいいのか。
まあ早い話、精神科を受診するか、カウンセリングを受けましょう。
ということなのだが、毎日お世話になるわけにもいかないので、日々のちょっとした心がけで対処できないか考えてみる。
自意識とはなにか
Fenigstein, Scheier, & Buss(l975)は,個人の性格特性としての自己客体視を考え,自己意識(self-consciousness) と名付けた。
そして自己に注意を向ける程度の個人差の測定法として自己意識尺度を考案した。
この尺度は,私的自己意識(privateself-consciousness),公的自己意識(publicself-consciousness),社会的不安(socialanxiety)の3下位尺度から成る。
上田 恵津子, (1985), 「自己客体視理論についての一考察」より
要は、自意識は次の3つの尺度で測れるかも、という説である。
- 私的自己意識
- 公的自己意識
- 社会的不安
私的自己意識
自分の内面への意識のこと。
自分個人の感情・考え方・生き方を意識する程度を指す。
公的自己意識
自分の外面への意識のこと。
自分の容姿・行動・言動を意識する程度を指す。
社会的不安
他者の存在によって不安惑を抱く程度。
片思い中の自意識
「私的自意識」か「公的自意識」のどちらかが暴走している状態が、片思いである。
「私的自意識」が暴走して、自分の中の「好き」「気になる」という感情に突き動かされ、むやみにアプローチするか、
「公的自意識」が暴走して、相手からどう思われてるのかが気になり、もう嫌われたのではないかと不安になって委縮して、全く行動を起こせないか、
のどちらかである。
私の場合、「私的自意識」と「公的自意識」が交互に暴走して、消耗する日々を送っているが、
どちらの状態も、結局のところ、相手が見えていない、自分にしか意識が向いていないという点では共通している。
この無限地獄から抜け出すにはどうすればよいか。
現時点での結論
考えてみたものの、はっきり言って、それらしい結論は導けなかった。
自意識から解放される方法をググればすぐにヒットする。
「自分が思っているほど周りは自分のことを見ていない」だの、
「人の考えを読みすぎない」だの、
色々あるが、それができれば苦労はない。
なかなか恋という異常なシチュエーションでは、この類の対処法は使いづらい。
で、私がたどり着いた結論は、
もう、このままでいいや。
である。
私はさきほど、
「私的自意識」と「公的自意識」が交互に暴走して、消耗する日々を送っている。
と書いたが、このままでいいと思うことにした。
というのは、「私的自意識」が、多少無茶な行動の動機づけになってくれたりするし、「公的自意識」が、無茶をしすぎることへの抑止力となってくれたりするからである。
要するに、両者が交互に暴走しているぐらいが、ほどよく行動できて、ほどよくブレーキもかかって、ちょうどよいんじゃないだろうか。
なんだこの浅い結論。
まあたまにはグダグダな文章書いてもいいよね。。。