Tauzuのブログ

成長記録およびゲーム制作日誌

自意識について

恋をすると、自意識過剰になる。

 

これはもうどうしようもない。

 

相手からどう思われてるか、無性に気になる。

この異常な精神状態も含めて、恋なのであろう。

 

恋は、病気である。精神科を受診したほうがいい。

にもかかわらず、「恋はパワー」とかほざいて突っ走ってアプローチして、

たいてい失敗に終わる。

インフルエンザ発症してるくせにわざわざ登校するぐらい愚かなことである。

 

ではどうすればいいのか。

まあ早い話、精神科を受診するか、カウンセリングを受けましょう。

ということなのだが、毎日お世話になるわけにもいかないので、日々のちょっとした心がけで対処できないか考えてみる。

 

自意識とはなにか

Fenigstein, Scheier, & Buss(l975)は,個人の性格特性としての自己客体視を考え,自己意識(self-consciousness) と名付けた。

そして自己に注意を向ける程度の個人差の測定法として自己意識尺度を考案した。

この尺度は,私的自己意識(privateself-consciousness),公的自己意識(publicself-consciousness),社会的不安(socialanxiety)の3下位尺度から成る。

上田 恵津子, (1985), 「自己客体視理論についての一考察」より

 

要は、自意識は次の3つの尺度で測れるかも、という説である。

  1. 私的自己意識
  2. 公的自己意識
  3. 社会的不安

 

私的自己意識

自分の内面への意識のこと。

自分個人の感情・考え方・生き方を意識する程度を指す。

 

公的自己意識

自分の外面への意識のこと。

自分の容姿・行動・言動を意識する程度を指す。

 

社会的不安

他者の存在によって不安惑を抱く程度。

 

 

片思い中の自意識

「私的自意識」か「公的自意識」のどちらかが暴走している状態が、片思いである。

 

「私的自意識」が暴走して、自分の中の「好き」「気になる」という感情に突き動かされ、むやみにアプローチするか、

「公的自意識」が暴走して、相手からどう思われてるのかが気になり、もう嫌われたのではないかと不安になって委縮して、全く行動を起こせないか、

のどちらかである。

 

私の場合、「私的自意識」と「公的自意識」が交互に暴走して、消耗する日々を送っているが、

どちらの状態も、結局のところ、相手が見えていない、自分にしか意識が向いていないという点では共通している。

 

この無限地獄から抜け出すにはどうすればよいか。

 

現時点での結論

考えてみたものの、はっきり言って、それらしい結論は導けなかった。

 

自意識から解放される方法をググればすぐにヒットする。

「自分が思っているほど周りは自分のことを見ていない」だの、

「人の考えを読みすぎない」だの、

色々あるが、それができれば苦労はない。

なかなか恋という異常なシチュエーションでは、この類の対処法は使いづらい。

 

で、私がたどり着いた結論は、

 

もう、このままでいいや。

 

である。

 

私はさきほど、

 

「私的自意識」と「公的自意識」が交互に暴走して、消耗する日々を送っている。

 

と書いたが、このままでいいと思うことにした。

というのは、「私的自意識」が、多少無茶な行動の動機づけになってくれたりするし、「公的自意識」が、無茶をしすぎることへの抑止力となってくれたりするからである。

要するに、両者が交互に暴走しているぐらいが、ほどよく行動できて、ほどよくブレーキもかかって、ちょうどよいんじゃないだろうか。

 

なんだこの浅い結論。

まあたまにはグダグダな文章書いてもいいよね。。。